2019.12.22.シンポジウム「私たちウチナーンチュは『首里城再建』をどう考えるか」が開催されました。

緊急の呼び掛けにも関わらず、100名以上の方が参加していただきました。会員の玉城さんからの報告記事を掲載します。

「私たちウチナーンチュは『首里城再建』をどう考えるのか」と題したシンポジウムが、2019年12月22日に浦添市社会福祉会館において開催された。沖縄国際大学の前泊博盛教授とライターのしもじけいこさんの二人の講演者が、首里城再建についての状況や問題点を説明・指摘し、日本政府による支配構造を継続するための再建でなく、我々ウチナーンチュが考えなければならない本来の問題すなわち「自分で考え自分で判断する」必要性を説いた。

前泊教授はいくつかの問題点を指摘してくれた。まず、首里城は基本的に観光施設であって、重要な歴史的資料は置いてはならず、精巧なレプリカで対応することが必要である。琉球国の歴史重要物は博物館などで管理し十全な保管が基本である。今回、首里城炎上に際し歴史的重要物が焼失したり、傷んだりしたのは残念である旨を述べた。また、ここ沖縄で起こっている首里城再建に鑑み、沖縄の心なる言葉が先走り、首里城はどのような建物であるかを歴史上考察することが重要であるにもかかわらず、その考察が抜けているのは残念である。もし琉球の民が、再建が是非必要だとすれば、半数の方々が一人一万円を寄附すれば事足りる事と明言。

関連して、首里城跡地は琉球から日本政府に移管された土地であるにも関わらず、毎年首里城使用料として日本政府に2億3千万円が支払われている。先の台風で被災にあった熊本城(現在再建中)が同じ国有地であるにもかかわらず、無償で対応している事とは真逆である。これらの原資を元に銀行から費用を借りることも可能であり再建は沖縄独自の方法で解決すべきである。首里城からのご利益や企業イメージを大切にしているのであればノートルダム寺院の復興支援をモデルにし、例えば観光税、企業税等を課すことも可能であるとした。

しもじけいこさんは、薩摩からの重税のため、1637年から1903年まで266年続く人頭税を宮古・八重山に課していた事実を、被害を受けた住民の子孫の立場で問題提起した。宮古・八重山にとって首里城は搾取・権力の象徴でもある。歴史を考えれば、支配体制や関連する税制を呼び起こすことは必然であり、これらのことからも首里城再建には沖縄本島とは温度差が感じられるのは歴史上の必然である。

今後、宮古人が首里城を「自分たちのものにするために」はどうすべきか。それには、負の遺産をしっかりと認識し継承していくものでなければ宮古の人たちの共感は得られないだろうと鋭く指摘。かくも、時代の政治の有様により、永く、人の思想・思考に影響を与えることを学び、琉球人として、宮古・八重山も共に乗り越えて行くべき課題を共有することが必要であると、強く主張。再建される首里城は、単なる観光のためだけのテーマパークにしてはならない。

続いて、コーディネーターの当会共同代表の与那嶺義雄氏が、沖縄の政治はヤマトの政治に対応した縦割り体制になっており、分断統治を生む構造になっていることを指摘した。今後、沖縄は独自の自立した考えが必要であること述べた後、会場参加者と講演者との活発な質疑応答が行われた。

シンポ終了後、玉城(たまぐしく)毅氏による琉球人ご遺骨の盗骨問題が報告され、これらが日本政府による支配構造の下で行われていることを指摘し、遺骨返還にたいする援助・参加の要請が行われた。最後に当会共同代表の一人である根保清次氏が、大会趣旨の簡単な纏めとシンポジウムの成功報告、来場者への感謝を述べ、閉会となった。          (報告・玉城和宏会員)